新・医事紛争Q&A (北海道医報 平成19年2月号掲載)

第5回 「死因解明義務」   

              北海道医師会 顧問弁護士 黒 木 俊 郎
              医療訴訟担当弁護士    坂 本 大 蔵
                        

当院に急性腸炎の診断で入院していた患者がショック状態に陥り,急死しました。ショック後の心電図では典型的な心筋梗塞の所見が認められましたので,当院では,急性心筋梗塞による死亡と判断し,遺族にも「予測できない急性心筋梗塞による死亡であり,死亡は避けられなかった」と説明しました。しかし,遺族は,当院の説明に納得せず,死因は別な病気ではないか,当院の医師がその病気を見逃したために治療が遅れて死亡したのではないかと主張しています。病院として,どのように対応すれば良いでしょうか。

本件と類似の事件について,東京地裁は,「遺族が死因の解明を望んでいるときは,病院は病理解剖の提案その他の死因解明に必要な措置についての提案をして,その実施を求めるかどうかを検討する機会を与えるべき義務がある」とし,病理解剖の提案をしなかった被告病院に対し,死因解明義務違反による慰謝料の支払いを命ずる判決を下しました。(平成9年2月25日判決)
この判決は,平成10年2月25日の東京高裁判決で取消されましたが,高裁でも,一般論としては,死因説明義務・死因解明義務を否定していません。
そこで,私は,本件のような症例においては,病院から遺族に対し,死因解明手段として,次のような提案をすることが望ましいと考えています。
@モデル事業の利用
 「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」(実施主体「日本内科学会」)の対象地域においては,遺族の同意を得た上で,医療機関から調査分析を依頼することができる。依頼があるとすみやかに解剖が行なわれ,地域評価委員会で評価される。道内では,最近,札幌市が対象地域になった。
A病理解剖
B異状死体の届出
 医師法21条により24時間以内に警察に届出る。この場合は,遺族の同意は不要。警察・検察では検視を行い,必要と認めた場合は司法解剖を行う。

【質疑応答】

医師会のA理事:東京地裁の裁判で遺族はどんな主張をしたのですか。

弁護士:第1の主張は診療義務違反(死因は腹部大動脈瘤破裂による大量出血によって生じた心不全であり,病院は大動脈瘤を見逃して急性腸炎と誤診したために患者を死亡させたとして総額約4000万円の損害賠償を請求),第2の主張は死因解明義務違反でした。東京地裁は死因の鑑定を実施したうえで,大動脈瘤破裂か急性心筋梗塞かを確定できないと判断して第1の主張を退け,第2の主張のみを認めて総額400万円の慰謝料支払いを命じました。

A理事:東京高裁が地裁判決を取消した理由は何ですか。

弁護士:病院では心電図所見など相応の根拠に基づいて死因を急性心筋梗塞と診断し,遺族に死因の説明を行っているので,説明義務の怠りはなく,遺族がその説明に納得しなくても,社会通念に照らし,病理解剖を提案する義務までは認められないと判断しています。そのため,遺族の全面敗訴になりました。

A理事:死因解明・説明義務について,他に参考になる裁判例はありませんか。

弁護士:広島地裁判決(平成4年12月21日)は,医師が基礎的医学知識の欠如等によって遺族に誤った死因説明をしたことを理由に50万円の慰謝料の支払いを命じました。また,東京地裁判決(平成16年1月30日)は,東京都立広尾病院の消毒薬点滴事件について,これは重大な医療過誤による死亡だとして多額の損害賠償を命じ,これに加えて,病院側が医師法21条の届出をせず,遺族に虚偽の死亡診断書を交付するなどの死因隠蔽行為をしたことは死因解明・説明義務違反だとして慰謝料の支払いを命じました。
しかし,死因に関する誤った説明や死因隠蔽行為は,それ自体が不法行為ですから,両判決とも死因解明・説明義務を持出す必要はなかったと思います。

A理事:先生の回答では,死因解明手段として,@〜Bの選択肢が示されていますが,それぞれのメリット・デメリットを説明して下さい。

弁護士:@Bのメリットは,病院も家族も解剖費用を負担する必要がないことです。Bでは遺族の同意も不要です。しかし,司法解剖報告書は非公開が原則であり,民事裁判などの資料として利用できないというデメリットがあります。(ただし,警察の裁量で解剖結果の要旨を遺族らに告知することが多い。)
Aの病理解剖は,解剖結果を病院,遺族とも利用できるメリットはありますが,病院が病理医に解剖を依頼する関係上,費用も病院負担となるのが通常です。
@は,法医,病理医,臨床医など多くの専門家が協議して「評価結果報告書」を作成し遺族にも説明してくれるので理想的です。しかし,異状死の可能性がある場合は,医師法21条が優先するので,まず警察に届出なければなりません。また,解剖の結果,異状があると認められた場合も,死体解剖保存法11条により解剖医が警察に届出なければならないので,警察の介入は避けられません。